「光る君へ」と読む「源氏物語」第28回
第二十八帖 <野分 のわき>
「光る君へ」はドラマなので顔を見せないと成立しないためか、男女が顔を合わせるシーンが沢山ありますが、宮中に仕える女性が男性に顔を見せない場合もあったようです。「枕草子」には、藤原行成が、いつも定子への取次を清少納言に頼んでいるのに、なかなか顔を見せてもらえないと拗ねたり、何とか顔を見ようと清少納言の同僚の女性の部屋から垣間見できて喜んだりする様子が描かれています。
光る君は、空蝉や末摘花と顔を見ないままに関係していましたし、明石の君の顔をはっきりと見たのは京に戻ることが決まった後でした。「蛍」の帖で、兵部卿宮が仄かな光に照らされる玉鬘に心を奪われてしまったのをみても、やはり女性が男性に顔を見せるのは、この時代はかなりの衝撃なのでしょう。
今回は、生真面目な男性が美しい女性を垣間見した様子をみてみましょう。
第二十八帖 <野分 のわき(台風 六条院に台風が吹き荒れたことから)>
六条院の秋好中宮の御殿の庭に植えられた秋の花が盛りとなりました。春と秋、どちらが優れているかという争いで紫の上の南の御殿の春の庭に心を寄せていた人々が、秋の庭に心移りするのは、時勢におもねる世の有り様に似ています。
庭の見事さに里住みが長くなる27歳の中宮は、管弦の遊びなどもしたいのですが、八月(新暦では九月)は亡き父・前東宮の忌月なので遠慮しながら、花の盛りの色が増してゆくのを眺めているうちに、野分が例年よりも激しく吹いて、空の色も変わってしまいます。
南の御殿も庭の手入れをしていた折に野分が吹き始め、枝が折れたりする様を、28歳の紫の上は少し端近で眺めています。36歳の光る君が8歳の明石の姫のところへ野分の見舞いに行ったちょうどその時に15歳の夕霧の中将が訪れ、妻戸(寝殿造の両開きの扉)の隙間から女房たちが沢山いる様子を音もさせずに見入っていました。風が吹き屏風が畳まれて、露わに見通せる廂の間(妻戸の内側にある屋根の下の空間)の御座(おまし 貴人のいる場所)に座っているのは、紛れもなく紫の上、気高く美しく、芳しい香りが匂うようで、春の曙の霞の間から、素晴らしい樺桜が咲き乱れているのを見るような心地がします。
「父君が私を紫の上に近づけないのは、見てしまうと、ただでは済まされないような美しさなので、深い思慮から用心なさったのだろう」と夕霧は恐ろしくなって立ち去ろうとすると、西の方から障子(現在の襖)を引き開けて光る君が戻ってきます。
「なんてひどい、気ぜわしい風だろう。格子(格子状の板戸 蔀(しとみ)とも言う。上下半分に分れ(半蔀 はじとみ)、上半分は引き上げ、下半分は取り外し可能)を下ろしなさい。男たちがそこらにいるのに、内が丸見えになっているではないか」と光る君が言っているので、また夕霧が寄ってみると、親と思えないほど若くすっきりとして艶めかしく今が盛りの容貌で、紫の上も美しく、理想的な二人の有り様です。
夕霧はいったん立ち退き、今来たばかりのように咳払いなどをしつつ、簀子(濡れ縁)の方から歩いてきたので、光る君は「妻戸が開いていたので紫の上を見てしまったかもしれない」と不審に思い「中将(夕霧)はどこから来たのか?」と問いました。
「大宮(夕霧と雲居の雁の祖母)のいる三条宮におりましたが、風がひどく吹きそうだと人々が言うので、お見舞いに参りました。大宮が風の音さえ、子どものように怖がって気の毒なので戻ります」と夕霧が応えたので、光る君は大宮に「ひどい風ですが中将がいるので安心して任せております」と伝言をしました。
大宮のところに向かう道中も風は激しく吹いていましたが、夕霧は生真面目で礼儀正しいので、三条宮と六条院に日参し、父の光る君と祖母の大宮に会わない日はありません。大宮は待ち受けていて、野分の風を恐れて震えながらも夕霧の訪れを喜んでいます。
夕霧は、雲居の雁のことはさておき、紫の上の面影が忘れられず「これは一体どういう心なのだろう。あるまじき思いが起きてしまったら恐ろしいことだ」「過去にも未来にも類いないほど美しい方だ。こんなに理想的な夫婦仲なのに、なぜ花散里のような方が六条院で紫の上に立ち並んでいるのだろう」などと光る君の心遣いを尊いものと感じ入り「同じことなら、あんな美しい人を妻として暮したいものだ」と思い続けるのでした。
明け方に風が少し弱まる一方で、雨が激しく降り出したので、夕霧はまた六条院を見舞いにやってきます。「夕霧の朝の姿は美しいな。まだ幼さの残る年頃だが見苦しくなく思えるのも心の闇、親の目の迷いだろうか」と紫の上に言いながらも、光る君は自分の顔は、いつまでも老けずに美しいと思っています。秋好中宮のところへ見舞いに行こうとした光る君が御簾の外に出ると、夕霧は物思いにふけって、すぐには気づかない様子で座っているので、やはり紫の上の姿を見たのではないかと怪しみます。
夕霧を御供にした光る君は、中宮の御殿から北側を通って明石の君の住まいを見舞うと、庭で女童(めのわらわ 貴人に仕える少女)が竜胆などが倒れているのを引き起こして手入れをしていました。琴をかき鳴らしつつ端近にいた27歳の明石の君は小袿(こうちぎ 少し短く仕立てた表着(うわぎ 一番上に着る衣))を羽織って居ずまいを正しますが、見舞いを言い、さりげなく帰ってしまう光る君の冷たさに侘しさを感じるのでした。
夏の町の西の対には、朝日が華やかに射し入るなか、22歳の玉鬘が艶やかに美しく座っていました。また光る君が恋を語り出したので「こんなに辛い思いをするならば、夕べの風に吹かれて、何処かへ行ってしまいたかったのに」と機嫌を損ねる玉鬘。「風と共に去るなんて軽々しいでしょう。それとも、どこか落ち着く先があるのですね」などと面白がる光る君。
「何とかして玉鬘の容貌を見てみたい」と願っていた夕霧は、二人が話し込んでいる様子なので、御簾のそばの几帳の端を引き上げてみると、光る君が玉鬘に戯れているのが見えたので「おかしなことだ。親子だというのに、もう大人の玉鬘の姉君を懐に抱くように親しくするなんて」と目を瞠ります。
抱き寄せられて、髪がはらはらと顔にこぼれかかる玉鬘は、嫌がって困ったような表情をしながらも、光る君に寄りかかり、馴れ馴れしい仲になっている様子が伺えます。「どういうことだろう。父君は色恋に精通している方だから、生まれたときから傍で育てていない実の娘に、こんな思いを持たれるのだろうか。そんなこともあるかもしれないけれど、ああ疎ましい」と思う自分の心まで、夕霧は恥ずかしくなるのでした。
光る君が花散里のところにも行くと、裁縫をしている女房たちがいて、美しい衣などが、あちこちに取り散らかしてありました。「こういう染色や裁縫という面は、花散里の君は紫の上に劣らないだろう」と光る君は思います。光る君のための直衣(のうし 公卿の平常服)は、花模様を織り出した綾を摘み取ってきた花で薄く染め出していて申し分のない色合いです。「夕霧にこそ、このように染めて着せてやってください。若い人の色に相応しいでしょう」などと言って光る君は戻ってゆきました。
光る君の御供をして何となく疲れてしまった夕霧が、見舞いが遅くなったのを気にしながら明石の姫の部屋にゆくと、姫は紫の上のところに行って不在でした。夕霧は文を書こうと、女房に紙と硯を求め、心をこめて墨を磨り、歌を詠みました。
風さわぎむら雲まがふゆうべにも 忘るるまなく忘られぬ君 夕霧
風が吹き 村雲乱れる夕べでも 忘れる間もなく 忘れられぬ君
紫の薄様(うすよう 薄手の和紙)にしたためた文を、野分で折れた刈萱(かるかや イネ科)に結び付けたので「交野の少将(かたののしょうしょう 平安時代に成立した物語。『源氏物語』で光る君が登場するまでは色男の代名詞)は、紙の色に合わせた花や草に付けたようですよ」と女房たちが教えます。「そんな色合いのことも私は分らなかったのですね。どんな野の花がいいのかな」という夕霧は、もう一通書いたので、女房たちは相手が誰かを知りたがっています。
明石の姫が部屋に戻ってくると「紫の上が桜、玉鬘の姉君を山吹とすれば、明石の姫は藤の花のようだ」と思い比べつつ「こんな美しい人々を明け暮れ見ていたいものだ。三人は近しい間柄なのに父君が厳しく隔てを置いているのが恨めしい」と夕霧は落着かない気持ちになりました。
三条宮に見舞いに来た内大臣に、大宮は雲居の雁に会いたいと泣きつきます。「近いうちに連れて参りましょう。女の子など、持つものではないですね。何かにつけて心配ばかりさせられます」という内大臣は、まだ夕霧とのことを拘っているようで、大宮は是非にとは言えなくなります。話のついでに内大臣は「たいそう不出来な娘を引き取ってしまい持て余しているのですよ」と愚痴をこぼしながら笑うのでした。
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因果はめぐる糸車というのでしょうか。父・桐壺院の妻である藤壺と関係していた光る君が、夕霧に紫の上を見られたかどうかに拘るとは。夕霧の心の動きを察知しつつも、同じ日に玉鬘との仲さえ見られてしまうのは、やはり野分のしわざなのかもしれません。
「源氏物語」におけるNTR、ネトラレ、「寝取られ問題」。①「コキュ(カッコウ 托卵することから)妻に間男されて気づかない夫」、②「コルネット(頭巾をかぶった)妻に間男されても許す夫」、③「コルナール(角をはやした)妻に間男されて怒り騒ぐ夫」のうち、「光る君へ」で、まひろと道長との間にできた賢子も受け入れた宣孝(佐々木蔵之介さん)と、桐壺帝は同じ②。脚本を担当した大石静さんによれば宣孝は「理想の男」なのだそう。
裏切った息子・光る君にルサンチマンを抱かず「朝廷の後見をして、世を治める政をする」立場に戻した桐壺帝の度量の大きさは、まさに「全部だきしめて」と言えるものであった一方、紫の上を夕霧に見られることにさえ用心する光る君…もしかすると③「妻に間男されて怒り騒ぐ夫」になる可能性が高いのかもしれません。
「光る君へ」第37回は、彰子が一条天皇に献上する「源氏の物語」の冊子を作る際に、たくさんの美しい紙が集められ「このような美しい紙に書かれた文を貰いたいものでございます」と宣旨の君(小林きな子さん)がうっとりしていました。
光る君は「明石」の帖で明石の君への文を、高麗の紙から薄様に変えてしたためていました。夕霧も紫の薄様に文を書きますが、女房が用意した紙で、しかも結んだのは地味な刈茅。野分に折れた草花で、紫の薄様に色を合わせられそうなものは、明石の君の庭で引き起こされていた竜胆をはじめ、六条院には沢山あったことでしょう。さらに夕霧は紫の上の美しさに惹かれつつも、玉鬘に戯れる父の感情を想像するだけで恥じていて、姿形は光る君のようでも、性格は母の葵上に似ているのか、真面目。
「光る君へ」第44回、頼通(大野遥斗さん)が正妻・隆姫に子が産まれないので三条天皇の内親王の降嫁を薦められた際に「そのようなことを父上と母上が私にお命じになるなら、私は隆姫を連れて京を出ます。藤原も左大臣の嫡男であることも捨て二人きりで生きて参ります」と宣言した様子は、雲居の雁を想う夕霧に重なるのと同時に、第10回、「なにがしの院」のような荒れ果てた邸で「一緒に京を出よう」「藤原を捨てる」「右大臣の息子であることも東宮様の叔父であることもやめる。だから一緒に来てくれ」とまひろを誘った道長の若き日の姿も髣髴とします。
恋人ならば光る君、夫ならば夕霧などと「雨夜の品定め」の女性評よりも、もっと活発な男性評が古来、交わされてきたはず。「光る君へ」と「源氏物語」で美しい方々や愛の形を沢山ご覧になった皆さまは、いま誰に軍配を上げるでしょうか?
【バックナンバー】
第1回 第一帖<桐壺 きりつぼ>
第2回 第二帖<帚木 ははきぎ>
第3回 第三帖<空蝉 うつせみ>
第4回 第四帖<夕顔 ゆうがお>
第5回 第五帖<若紫 わかむらさき>
第6回 第六帖<末摘花 すえつむはな>
第7回 第七帖<紅葉賀 もみじのが>
第8回 第八帖<花宴 はなのえん>
第9回 第九帖<葵 あおい>
第10回 第十帖 < 賢木 さかき >
第11回 第十一帖<花散里 はなちるさと>
第12回 第十二帖<須磨 すま>
第13回 第十三帖<明石 あかし>
第14回 第十四帖<澪標 みおつくし>
第15回 第十五帖<蓬生・よもぎう>
第16回 第十六帖<関屋 せきや>
第17回 第十七帖<絵合 えあわせ>
第18回 第十八帖<松風 まつかぜ>
第19回 第十九帖<薄雲 うすぐも>
第20回 第二十帖<朝顔 あさがお>
第21回 第二十一帖<乙女 おとめ>
第22回 第二十二帖<玉鬘 たまかずら>
第23回 第二十三帖<初音 はつね>
第24回 第二十四帖<胡蝶 こちょう>
第25回 第二十五帖<蛍 ほたる>
第26回 第二十六帖<常夏 とこなつ>
第27回 第二十七帖<篝火 かがりび>
女性が男に顔を見せないのが普通という状況は、いまの我々にはとても想像がつきません。
これは、女性がブルカをすっぽり被って男には顔も姿かたちも一切見せないイスラム原理主義みたいなもので、男尊女卑の極みの世界なのか?
…と思いそうになるけれども、イスラム社会にこんな物語はとてもありえません。
この物語を書き上げたのは女性であり、むしろこの物語に登場するような男たちを女性が品定めできるようなものになっているなんて、こんなものは日本以外には存在しないのではないでしょうか?
その奥深さには、恐れ入るばかりです。